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神戸都市問題研究所メールマガジン「マンスリーレポート」 第122号

2017年3月1日発行

〜全国被災地語り部シンポジウム〜

公益財団法人神戸都市問題研究所 理事長 新野 幸次郎

2月26・27日の両日淡路夢舞台で、表記のシンポジウムが開催され私も出席できました。新聞にも簡潔にではありますが、紹介されましたから、皆さんも目にされた方々があると思います。言うまでもないことですが、災害の恐ろしさは、それを体験した者でないと本当は判りません。しかし、わが国は世界でも冠たる天災大国です。最近の地震の連続や洪水・噴火などを想い出して頂くとどなたでも、いつ災害に見舞われるか分からないことを自覚しておかねばなりません。私たちは、いまこそ、災害から遁れることはできないとしても、それをいかに縮減するかについて十分身構えておかねばなりません。今回はシンポジウムとしては2回目ですが、出席者のみなさんは、そのことをあらためて再確認された極めて有意義な催しであったと思います。

ご報告された阪神・淡路と東日本と熊本の大震災の語り部の皆さんは、それぞれ聞くものの心を打つ内容のお話をされました。人によっては、近年はやりのパワーポイントでスクリーンにその状況を映し出されました。それは、単にお話を耳で聞くよりもより強い印象を与えてくれます。忘れてはならないことで、身体で覚えておかなければならないことは、確かに耳で聞くより目で確かめておくことがより有効です。

私は最近、あることを考えるために、鈴木大拙さんの有名な本「仏教の大意」を読み直していました。その中で大拙さんは、宗教を会得しようとすると一旦は知性の領域を逸脱しなければならないと言っておられます。知性は分別をその生命とするものですが、本当にそれでその身を縛りつけるようにするためには、一旦分別を否定して分別の上に分別を重ねなければならないと述べておられます。これは何かを本当に理解しようと思ったら、理知的な分別で受けとめるだけでは駄目で、日常経験の上で無分別が分別の中に滲透していることを会得、体得しなければいけないということで、ただ、語り部の言葉やパワーポイントで見るだけではいけないことだとも言えます。

そういえば、私が畏敬している有名な陶芸家河井寛次郎さんは、「眼で聴き耳で視る」とか、「手で驚き足で喜ぶ」とか、また「巳を守り巳を忘れる」とか仰言っていました。これは互いに相容れないものが一つであるという論理上あるいは知性的な分別では無稽なことを納得するまで分別を重ねなければならないことを意味していると考えられます。これは言いかえれば、本当に災害の恐ろしさを理解しようと思ったらただ言葉や寫眞を見るだけではいけないことを教えているのです。私たちは、語り部の皆さんと一体になって今までの災害の経験を生かし、これから来襲するだろう災害に備えなければなりません。