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神戸都市問題研究所メールマガジン「マンスリーレポート」 第103号

2015年8月3日発行

〜日本資本主義の底流 ― 鈴木正三とマックス・ウェーバー ―〜

公益財団法人神戸都市問題研究所 理事長 新野 幸次郎

1905年に出版されたマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本のことは、多くの方々がご存知だと思います。彼は、各国の宗教についての研究と関連して、資本主義の成立にプロテスタンティズムの倫理が不可欠の要件であったことを論証しました。すなわち、彼は近代資本主義の発展は、たんなる利潤追求の営みに反対する経済思想が公然と支配するようになった社会でなければ不可能だったと主張しました。より具体的には、プロテスタンティズムの説く「世俗内的禁欲」とよんでいる「天職義務」のエトスを労働者や企業家が身につけている場合にのみ産業経営的な資本主義は存立できるというのが彼の結論でした。

いま私たちがその中で生きている資本主義の存立について多様な議論が展開されています。考えてみると、現在の資本主義の混迷や危機も、企業経営者や労働者の「世俗内的禁欲」の衰退や欠如と無関係ではありません。

ところで、ウェーバーのこういう議論とは別に、アジア諸国の中で何故わが国が最初に資本主義国として発展するようになったかについては、字数の限られている本稿では全面的に詳論できません。しかし、その一つとして私があげておきたいのは、ウェーバーよりも3世紀も早く活躍した鈴木正三のような思想がわが国では浸透するようになっていたことであります。正三の考え方については、いくつかの異なった理解もありますが、彼の「万民徳用」という主張の内容を禁欲的職業観を展開したものとする意見があります。ここでは、その根拠になる正三の文章をそのまま引用する余裕がありませんが、それは中村元さんなども主張されるように、ウェーバーがとりあげたプロテスタントの職業観、すなわち、各自の職業を神の召命によるものと神聖化する考えに通ずるものになっています。そのことは、正三の「万民徳用」の中での、農民、商人、職人等々が、「この身を世の中に投げ打って、一筋に國土の為、万民の為と思い入れて、役分として為すべき仕事を行うべきである」という主張にも見ることが出来ます。

往々にして徳川時代は、政治史的に封建時代と画されて、そこで、特殊な幕藩体制や参勤交替などを通じてわが国経済の商品経済化が異常に発展した時代であることが無視されがちです。しかし、それはライシャワー教授(のちに駐日大使にもなられました)が、かつてわが国の商品経済化が急激に発展した時代といわれたように、明治維新後の本格的な資本主義化を準備した時代でもあったわけです。しかし、わが国の資本主義化は、こういう制度的な成熟だけでなく、何よりもそこで活動した企業家や労働者の中に、鈴木正三が力説していたような職業観がある程度まで行きわたっていたことが機能したと言えます。わが日本資本主義の底流になっている正三流の「役分」の考え方は、日本的経営の中でもう一度考え直されてよいと思います。