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神戸都市問題研究所メールマガジン「マンスリーレポート」 第98号

2015年3月2日発行

〜故貝原俊民前兵庫県知事の隠された心意気〜

公益財団法人神戸都市問題研究所 理事長 新野 幸次郎

昨年11月不慮の死を迎えられた前兵庫県知事 貝原俊民さんの県民お別れ会の記録が先日出版されました。当日の私の「お別れのことば」もこの小冊子の中にも入れて頂きました。しかし、そのときには時間が限られていましたので、申し上げたかった多くのことが残りました。その中の一つに、あれほど熱心に阪神・淡路大震災からの「創造的復興」(この言葉に込められた貝原さんの真意については、以前このメールマガジンの巻頭言でも触れておきましたし、「お別れのことば」の中でも説明させて頂きました)をリードしてこられた貝原さんが、大震災20年を迎える前に任期途中で辞任の決意をなぜなされたのかということの説明があります。

あの、衝撃的な記者会見をされる前に貝原さんは、私のところへ訪ねてこられ色々と話をしてゆかれました。私が貝原さんと特に親しくさせて頂くようになったのは、学長時代、県立大学の運営について色々ご相談を受けるようになってからです。そんなこともあって学長を辞めて4年目に阪神・淡路大震災が起こった直後には、貝原さんが設けられた「都市再生戦略策定懇話会」の座長をやるように言われました。当時の復興計画作成の担当責任者になられた計盛哲夫さんがのちに「阪神・淡路大震災10年 翔べフェニックス−創造的復興への群像−」(財団法人阪神・淡路大震災記念協会、平成17年)の中で触れておられますように、私は当時、県と市の復興計画の一体化を図るために、神戸市復興計画検討委員会の座長も兼ね、その後も貝原さんから言われて実に色々な復興関連の仕事を分担させて頂きました。そんなこともあって5年前に亡くなられた夫人を偲ぶ文集出版の時も、安藤忠雄さんや山崎正和さんとご一緒に発起人を務めさせて頂きました訳です。

私は、「お別れのことば」の中でも貝原さんがかねがね「知事という仕事はその職責に身命を賭さねばならないものである」と言っておられ、死を覚悟して沖縄県知事になられた島田叡さんのことを口にされてきたことを申し上げました。まだ誰もおっしゃっていませんが私は身命を賭して阪神・淡路大震災の創造的復興に携わってこられた貝原さんは、奥様の最後が近づき、このままでは現職の知事として最愛の妻の葬儀を挙行しなければならないと認識され、そのために多くの方々に心配をかけ、県政に部分的でも支障をきたすことは絶対に避けようと決意されたのだと考えています。貝原さんは葉隠のあの佐賀のご出身です。この貝原さんの誰にも言われなかった心意気を私たちはしっかりと心に秘めておかねばなりません。