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理事長 新野 幸次郎 巻頭言

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神戸都市問題研究所メールマガジン「マンスリーレポート」 第37号
  2010年2月1日発行

 

 〜 桂文珍さんのコメントの意味すること 〜

 

財団法人神戸都市問題研究所 理事長 新野 幸次郎

 
 先日ある会で桂文珍さんのお話を聞く機会がありました。話題は豊富で「笑い」をふんだんに含んだ展開でした。その中で彼は「自分達の職業とする落語が最近はテレビで放映されなくなった。仮に放映されるとしても皆さんがまだ寝ている朝早くとか、夜遅くとかでしかない。視聴率だけに眼を向けている最近のテレビは、芸の修行も何もしていない若い「芸人たち」を中心に毎回正月番組のような放映しかしなくなった。」といった趣旨の話をされました。落語のように、じっくりとかなりの時間聞かねばならないものは視聴者も聞こうとしなくなったという訳です。
 これは、しかし、落語だけの話ではありません。最近は、変化の激しい時代で、私達が間違いなく生きてゆくためには、その変化を生み出している色々な原因や変化の行方について考えておかねばならないことが山積しています。それにも拘わらず、新聞を読まなくなっている人々も多くなり、文珍さんが批判しているテレビでの割り切った話だけを聞いて、自分では考えようとしなくなっています。文珍さんの落語の話は、笑い話で終わらせるわけにはゆかなくなったのです。
 考えてみますと、日本の落語での笑いは、実に意味深いものです。笑いについては、今迄カントからベルグソンまで、秀れた哲学者が色々と奥深く説明していています。ただ、日本の落語や漫才のサゲやオチは、それまで展開された筋に副って、期待してきたことと全く異なったことがいわれる形で、爆笑を呼び起こすようになっています。別の言い方をすれば、今まで考えてきたこととは全く異なった話に追い込まれることによって、あらためて自分の今迄の発想を笑っているのです。その意味では、日本の落語は、私たちに自分の考えの一面性を反省させる役割を果たしています。私たちは、この落語的自己反省を、すべての自分達の考えの中に生かさねばならない時代に生きているのに、その笑いも失ってしまっているのです。私たちは、あらためて、「適切な基準や根拠に基づく、論理的で、偏りのない思考」をするために、落語的精神を高揚しなければならなくなっています。



 

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